【No 002】1995 中国(吉林省/長白山・北京)
(1995年8月20日~27日)
長白山は、中国・吉林省と朝鮮の国境に位置し、朝鮮では白頭山とよばれている。火口湖である天池の周辺に自雲峰(2,691m)、龍門峰(2,596m)などの峰がつらなっている。その主峰は北朝鮮にあり、将軍峰とよばれている。1995年にアジアの高校生とともに登山に行った時の記録。
8月20日(日)
成田空港から15時30分すぎに出発した中国国際航空926便で北京へ移動。北京市南部の百楽酒店に到着したのは21時過ぎになった。
8月21日(月)
ホテルからのバスは左安門東街から駅への狭い道に入り、人と車をかき分けるように北京南駅前に到着。北京南駅は、駅舎も小さく出発する長距離列車も少ないとは言え、東北地方への玄関口。乗車した図門行き第255直快列車は、軟臥、硬臥、軟座、硬座、食堂車、手荷物車を連結した、いわば急行列車。
列車は、北京から約1,700 km弱先の図門にむけ北京南駅を12時48分に出発、天津、泰皇島、錦州、瀋陽とたどり吉林省にむかった。
8月22日(火)
早朝、目がさめると列車は、本来は通らない長春南駅に停車中。車掌の話では、直前の水害で迂回ルートをたどっているとのこと。ここから目的地の延吉まであと10時間の予定。延吉に近づくにつれ、町の雰囲気も朝鮮風に変わり、夕闇せまる18時30分に延吉に到着した。北京を出発してから30時間弱の列車旅は終了した。バスでホテル白山大厦に入った。夜は、飲食一条街の屋台で焼き松茸を食べた。
8月23日(水)
8時30分にホテルを出発し、バスで長白山麓の杜鵠山荘に向かった。途中、安図までの道路は舗装されているものの、安図を過ぎるとあとは未舗装道路となった。長白山の麓の二道白河までの道は、直前に発生の水害の爪痕が生々しく残っていた。
途中、小さなな村々(鎮)を経て、バスは走りつづけるが、ドライブインがあるわけでもなく、 トイレ休憩はちょっとした起伏や茂みがある場所でバスを止め、もの陰で用を足した。昼食もホテルで渡されたお弁当を、これまた道ばたの空き地でというる道中。
夕方、長白山管理所(入場料を支払う)の門を通り杜鵠山荘山に到着。
8月24日(木)
深夜降った雨は朝になってあがるも、どんよりとした曇り空。8時30分に山荘を出発、橋を渡って小道に入るとまもなく道もなくなり、尾根にでて木立のなかを進むうちに、あたリー面ブルーベリー、しゃがみ込んでほおばった。さらに、先にすすむと樹林帯をぬけ、なだらかな平原あり、岩がゴツゴツしたところあり、苔を踏みじめると何センチ沈み込むところありの山(はっきりとした道はなし)を進んだ。
13時に長白山に到着。山頂は霧、たまに霧が晴れると一瞬、長白山天地が姿を見せるもすぐに姿を隠してしまう天候。登りとほぼ同じルートを下山した。右の写真は龍門峰から見た長白山天池が中国側に流れ出る出口付近を見下ろした写真。
8月25日(金)
早い朝食をすませて、7時にバスで延吉に向けて出発し、13時に延吉に到着、市内のレストランで昼食を済ませて、飛行機の時間までの間に延吉市内で買物などをして、空港に移動した。
延吉空港発17時30分の中国北方航空6125便で北京へ。日本人が多く搭乗しているからか、日本語の機内放送もあった。北京空港からバスで宿舎の百楽酒店へ戻った。
8月26日(土)
朝7時30分に、バスで宿舎の百楽酒店出て、友誼商店に寄リショッピングをして八達嶺長城へ。さすがに世界に名だたる万里の長城だけあって国内以外の見学者が多数、尾根に延々と続く長城に圧倒された。
長城見学を終了し、北京に戻り、夜は北京最後の夜と言うことで、街に出て、門前の全衆徳で北京拷鴨に舌鼓。
8月27日(日)
北京発9時10発の中国国際航空951便大連経由成田行で北京を出発。大連空港でも買物を楽しみつつ、成田に16時前に到着。
※2018年に投稿。1995年のことなので、北京南駅も現在の北京南駅ではなく、航空会社名も当時のもの。