【No 026】2008 中国(蘭州・烏魯木斉・北京)

(2008年12月31日~2009年1月7日)

12月31日

年末で人もまばらな大晦日、JL621便で上海へ。上海までは遅れもなく順調に16時40分に浦東国際空港に到着。国内線の出発虹橋空まで移動必要。入国手続や荷物のピックアップを済ませて17時20分に空港を出発したものの、黄浦江を渡る南浦大橋の手前からノロノロで18時45分ころに虹橋空港に到着。

中国東方航空の蘭州行きMU2354便は20時35分発ながら、20時5分すぎに搭乗開始。上海から蘭州まで3時間220分のフライト。23時50分過ぎに空港着。荷物も10分くらいで出てきて、空港のターミナルビルで中国時間の新年を迎えた。この便がこの日の蘭州空港に最後の便。車で蘭州西蘭国際ホテルまで1時間弱。

1月1日

夕方の列車出発までの時間を利用して市内を見学。蘭州は西安から西へ約600キロ。市街地は黄河にそって形成されている。

午前中、黄河第1橋として有名な中山橋までバスででかけ、橋を渡った先にある白塔山公園まで行った。午後は、甘粛省博物館へ行きました。古生物化石やシルクロード文明など3つのコーナーの展示があり、マンモスの化石はなかなかのもの。シルクロード文明は物語風に構成され、写真や模型を多用して展示されていた。

午後4時1分蘭州始発の特快列車でウルムチにむけて出発。1892キロを21時間弱かけての移動。幸い僕ののった4人定員のコンパートメントは、僕ひとりのみでゆっくり出来た。河西回廊を西にたどり、300キロ離れた武威の手前で外は暗くなり、張液、酒泉、嘉峪関、 玉門鎮、柳園(敦煌)、哈密と河西回廊を走り抜けると夜が明けた。

1月2日
トルファン経て風力発電の風車を眺めつつ、定刻より10分あまり早く12時37分にウルムチに到着。

昼食をすませて車で天池へ。天池はウルムチから120キロ離れたボコタ峰の麓、約2000メートルのところにある湖で、一面氷が張っており、湖畔には氷の彫刻があった。 市内にもどって夕食は、四川料理の店にいった。

1月3日

朝8時半になっても、外は、まだ真っ暗。ウルムチ(烏魯木斉)はさすがに西方でを、北京との距離を実感させられた。ウルムチの西方約80キロのトルファン(吐魯蕃)まで高速道路ができで2時間で到着。吐魯蕃は、吐魯蕃盆地の中央の町。年間降雨量が16ミリの乾燥した街。

カレーズもシーズンオフとあって入り口の改札機も人が来てから電源を入れていたし他に客はだれもいない。トルファンはブドウの産地、でブドウの木は土の中に埋めて冬越しをするので冬はブドウの木は見えなかった。見えるのは木が埋められた畑と空っぽのブドウ棚にブドウ乾燥小屋だけ。昼食は、ラグメンとシシカバブ。

午後は、市の中心から40キロはなれた高昌故城へ。ずっと奥の方にある寺院のあとまでロバタクシーに乗車。高昌故城は漢代に砦が築かれ、前涼期に高昌郡が置かれ、以来長く国の都として繁栄したとのこと。 建築物は破壊がすすみ、荒涼とした風景になっている。

次に、アスターナ古墳群へ。アスターナ古墳群は高昌国や唐代西州住民の墓地群で壁画やミイラなどが発見され、3基が公開されている 。撮影禁止なので残念ながら…。
2基には壁画が、1基には夫婦のミイラが。ミイラは乾燥ミイラで、この地だからこそ着衣のまま乾燥してミイラに。

最後に、火炎山の麓を通って高昌故城の北東22キロのベゼクリク千仏洞へ。ここはキク氏高昌国期から唐、五大十国、宗、元代と開削された仏教石窟で、現存しているのは83窟。外国人の探検隊によってはぎ取られた壁画や、イスラム教がトルファンに浸透し顔部分が破壊されたりしてる。いくつかの窟が公開されているが撮影禁止……

途中で夕食をすませて、ウルムチのシェラトンホテルにに戻った。

1月4日

朝からウルムチ市内。駅までバスで行って、朝食、紅山公園の麓まで行ってみた。駅前の歩道では、路面についた氷をのみとハンマーで砕いて、歩行者がすべらないようにしていた。

中国国際航空1902便15時15分発で18時30分に首都空港着。常宿の一つ金融街ウエスティンホテルへ。

1月5、6日

なにをしたわけでもなく、ブラブラすごした。とは言え、久しぶりに景山公園に行った。宿泊は、5日はアロフト北京に、6日はウエスティン朝陽に宿泊。

1月7日
ホテルでゆっくりして、11時頃チェックアウト。北京発14時15分のJAL684便で帰国