【No 042】2015 中国(上海・広州・海南島・北京)

(2015年9月1~7日)

9月1日

羽田をJL81便で出発し、上海、虹橋空港に移動、地下鉄10号線伊梨駅近くの虹橋喜来登太平洋大飯店にチェックイン。さらに10号線で2つ目の虹橋路へ行って修理に出してあったスマホを受け取った。
地下鉄で陝西南路下車。街をあるきつつホテルオークラでコーヒーを飲んで、南京西路までい行くとユニクロ旗艦店が開業準備中。南京南京東路から天津路を北上して蘇州河べ。黄浦江に注ぐ蘇州河には外白渡橋がかかり、川沿いには上海郵便博物館などがある。

9月2日

上海、虹橋空港発の中国南方航空CZ3548便は1時間遅れで広州空港に12時30分すぎに着陸。空港からの地下鉄3号線の終着、体育館西路で下車、駅のすぐそばのシェラトン上海にチェックイン後、広州駅にいって翌日の列車の切符を購入。
広州駅そばの越秀公園に入場。公園内の丘(山)にはたくさんの防空壕(跡)あった。ホテルそばのショッピングセンターの天河城へ行って夕食すませて、イオンで買い物をしてホテルへ。

9月3日

朝、4時過ぎにホテルをチェックアウト。タクシーで広州駅へ移動、乗車したK407列車は、長沙を前日の20時48分に出発、9時間半かけて広州駅まで走ってきた列車。30分の停車ののち、この日は20分遅れて5時50分に広州を出発し、1時間から2時間おきに広東省南部の主要都市に停車しつつ、広東省最後の停車駅である除聞に14時31分に到着して3分停車ののち、連絡船の港に向けて出発、15時10分に港に到着。
ここで編成を4分割して、まず2編成を同時に船内の外側留置線2線に押し込み、続いて残りの2編成を同様に内側留置線2線に押し込み、船内連結器に接続して、チェーンで固定し、16時10分に海口に向けて出航した。


約1時間の航行で17時に海南島の玄関口、海口側の港に到着、10分かけて船を回転して着岸し、出港時と逆の手順で4編成を引き出して、もとの編成に戻すのに40分かかった。5分走って、海口駅に18時4分到着。列車に乗ったままの連絡船移動は初体験。 海口での宿泊は、プライベートビーチをもつ海口有数のリゾート施設のシェラトン海口リゾート。

9月4日

早朝からホテルの敷地やビーチを散歩して、8時45分にタクシーで海口東駅まで約40分かかって移動。

海南島の東側を通り三亜まで行く動車組はほとんどの列車が海口駅ではなく海口東駅から出発する。 今回の乗車、各駅に止まるタイプの動車組。1時間55分かけて南国情緒豊かな海南島の東側を走り抜け、三亜へ。三亜駅は、新幹線の駅と在来線の駅が一緒になった大きな駅。

ビーチ沿いの29階建てのフォーポイントバイシェラトン海南・三亜にチェックイン。27階のオーシャンビューの部屋で、バルコニーからは、ほぼ180度、広がる海が見渡せた。 ラウンジのベランダでサービスのドリンクのをいただいた。

ウンジで休憩ののち、ビーチ沿いに東へ海岸を歩いて、市街地へ向かった。市街に入り、解放路から、歩行者街と進み、途中で昼食に水餃子を食べ、MINISO(10元ショップ、日本で言えば100均)に入り自撮棒を買ってみた。歩いて市街地側からビーチまでくるともう夕方で、ぼつぼつ人が出始めていた。

9月5日

動車組の1等車両で下車駅美蘭まで昨日の逆コース。美蘭のホームは地下で、改札口を出ると海口空港まで連絡通路で結ばれている。空港ではJCBカードによる金色世紀のラウンジを利用。海口美蘭空港の国内線搭乗手続き後にたくさんの免税店があった。これは、海南島の振興策として行われている措置のよう。


海南島から北京までは3時間半のフライト。北京首都空港に若干遅れで午後5時過ぎに到着。地鉄で移動してWホテルにチェックインして、王府井大食代(フードコート)へ行って、豚肉と山芋の壺入りのスープ、野菜の漬け物、ご飯で夕食をとり、本屋にいってホテルに戻る。

9月6日

建国門から地下鉄2号線・4号線で中関村へ。海龍電子市場や鼎好電子商場などの大きなビルが並びスマホ、パソコン、パソコン周辺機器、メモリー、CPU、配線、パール、パソコン修理などの店が所狭しとならんでいる。

地下鉄4号線でで西単に出て、北京図書大厦に立ち寄り、地下鉄4号線・2号線で和平門下車。ひさしぶりに瑠璃廠へ行き、瑠璃廠からほぼ東へ向かう楊梅竹斜街を経て大柵蘭から門前行き、電車(門前大街の北と南の橋を運行)が動いていたので、20元払って乗ってみた。

9月7日

朝から地下鉄1号線・5号線で張自忠路で下車。段祺瑞執政府跡地や和敬公主府などの前を通り王府井大街に入ると、まもなく教堂、金魚胡同から協和病院の前を通り、建国門内大街を東に行くとビルの間に塀に囲まれた干謙祠と言う建物がある。

ホテルに戻って、荷物をまとめて、空港へ移動。JAL22便で帰国した。