【No 045】2016 中国(山西/太源・平遥 北京 川底下村)
(2016年12月30日~2017年1月4日)
12月30日
成田発9時35分のJAL873便で上海浦東空港に定向けて出発。成田から上海への空路は、甲府・名古屋・岡山・広島・北九州・五島列島を経て東シナ海へとたどり上海へほぼ一直線。富士山や南アルプスがきれい。太原に向けての乗り継ぎのため浦東空港発の13時30分発のバスで虹橋空港までバスで移動、虹橋空港発の中国東方航空便で20時10分に太原武宿空港に到着。太原空港からバスで市内へ。バスの終点の三晋国際飯店にチェックイン。この日の食事は①朝食-成田のSakuraラウンジ ②昼食-JAL機内食 ③午後食??-虹橋空港のラウンジ ④夕食は中国東方航空の機内食と、「空食」の一日だった。
12月31日
朝から、ホテル近くの純陽宮へ。純陽宮は明の万暦年間に創建された道教の宮観で現在は山西省芸術博物館となっている。太原駅で列車のチケットを引きとり、文廟の前を通ってホテルに戻り、チェックアウト。
太原発12時17分のK7807列車で平遥まで移動。この列車は、早朝、6時20分に山西省北部の大同を出発した運城行きの列車です。途中駅で次々と乗客がが入れ替わりながら、絶えず、ほぼ満席での運行です。14時16分に平遥駅に到着。
平遥駅から平遥古城まで徒歩で移動。平遥古城の中心部にある「平遥雲錦公館」に14時40分にチェックイン。このホテルは、老宅を改良してホテルとしてっ使用しており、宿泊した部屋はオンドル部屋。しばらくするとフルーツが届いた。
ホテル近くのチケット発売所で、チケットを入手。このチケットは、古城内19か所の施設に入場するためのもので、3日間通用で、3日の間に、入場有料19施設に、各1回入場できる。これらの施設に入場見学しないなら古城に入るのは無料です。なお、65歳以上は入場無料で、外国人場合はチケットのかわりにバーコードがパスポートに貼り付けられ、それで入場する仕組み
この日は、メインストリート(西大街・東大街)やその北側にあるスポットを巡りました。城内のまんなかあたり、南大街にあるのが市楼。数多くの四合院づくりの建物が残されており、博物館などとして公開されている。城内を東西につらぬく西大街・東大街、北にのびる北大街、南にのびる南大街や衛門街などのメインストリートには食べ物屋、お土産店などが軒を並べ、露店も数多く出ている。
1月1日
前日に続いて、朝から平遥古城の西大街の北側で前日に行くことができなかったスポットと西大街の南側のスポットや城壁に登るなど前日に続いて世界遺産平遥古城を楽しんだ。
平遥古城は1370年に築かれ、改修が重ねられるも創建当時の姿が伝えられているそう。城内には伝統的民間建築が数多く残っており、今回宿泊したところのように宿泊施設となっているところや博物館などに活用され公開されている建物も少なくない。
城内には大きなキリスト協会もあった。南門から城壁に上り、小南門、角楼(南西)を経て、西門門まで城壁の上部を歩き、西門で下に降り、いくつかの巷を抜けて、衛門街に出て平遥県衛などを見学して南大街と西大街が出会う地点の郵便局で、日本に手紙を発送して、昼食をすませてホテルに戻り、平遥古城滞在を終了。
北京には、動車組で向かうので、平遥古城駅に移動、平遥古城駅16時16分発のD2006列車で北京西駅へ。20時39分、定刻に北京西駅に到着し、ウエスティン北京金融街にチェックイン。部屋に入ると挨拶状とフルーツがセットされていた。
1月2日
最近、北京では郊外にも出かけるようにしており、今回は北京の西郊で、約90キロにある川底下村(門頭溝区齋堂鎮の山間にある古い家並みがのこる集落)に行った。北京から齋堂鎮まで一般道で84キロ。齋堂鎮の中心から6キロ谷間を進んだところに村はある。入場料は35元。村の規模はそう大きくはなく、北京からの日帰りでゆっくり見学可能です。村と反対側の山に登ると村全体を眺めることができた。
村の中には、壁にこんなスローガンが残った家もあり、傾斜地に立地する村には多くの石積みがある。
ホテルに戻って、王府井に行き、回転ずしに行った。中国人、そして、西洋系、アフリカ系その他諸々、様々な国の人たちが入っている。流れているのは、握り、巻物、軍艦巻き、押し寿司、刺身、小鉢などなど。メニューには牛丼や鰻のかば焼き定食もある。
1月3日
北京市内でまだ訪れていないところをいくつか回った。新年なので新しい博物館通票を120元で購入。これは入場無料の施設の特典を含み111か所の入場ができるもの。この日行ったのは、東獄廟、智化寺、大鐘寺、白雲観、史家胡同博物館です。ひさしぶりに馬連道にも行った。
夜、ホテルに帰る途中、北京三聯韜奮書店に寄った。書店の向かい側に小陝娃という基本麺類の店がありました。「□□面」と言う文字を発見。(「□はbiang)文字に惹かれて店に入りました。幅広の広い麺でした。(□□はコンピュータでは表示不可能)
1月4日
JL22便で羽田に戻りました。この日のJL22便の機材はトリプルセブンになっていました。年始とあって、ほぼ満席のフラウとでした。、 この便は、Cクラス席の大部分がYクラスに開放されていた。おかげでゆったりと日本に戻れた。